先週亡くなられた高畑勲監督の追悼企画として金曜ロードショーで火垂るの墓が放送された
正直追悼企画なら遺作である『かぐや姫の物語』とか『平成狸合戦ぽんぽこ』の方が見たかったなぁと思いつつ後々時期が来たら子供にも見せたいかなと録画したのだ
『火垂るの墓』は見るのに割と勇気とか覚悟が必要なアニメだ。本当に凄まじい作品である
その放送に伴い、ツイッター上では火垂るの墓に関する感想だったり考察だったりいろんな意見が見えてくる
中でも目立つのが『清太は何故家を出てしまったのか』『耐えるべきだった』『おばさんの気持ちの方が理解できる』といった意見だ
正直わからんでもない
結局のところ海軍将校の子でいいところのボンボンだった清太が世話になってる家の手伝いもせずプライドだけはいっちょまえで後先も考えず妹と二人の閉じた世界で暮らし始め、破綻した
多分清太を批判してる人達ははだしのゲンはもっと悲惨だが逞しく生き延びたぞ!とも思ってるかもしれない
おばさんにもムカつくのはわかるがニート状態の清太にだってムカつくし、出て行くなら最低でも妹を置いていくべきだった
それが出来なかったのが戦争で変わってしまった環境に置かれた兄妹の悲劇だ
どうするべきだったのか、こうならないためにはどうするべきだったのか
色んな話が出る。でも私は一つ、設定上どうしようもできない問題があるのだと主張したい
清太が14歳なのがいけなかったのだ
これが12歳以下ならまだ二次成長もしておらず、完全に子供だ
まだおばさんの話を素直に聞けたかもしれないし、家を出る恐怖の方が勝ったかもしれず耐えたかもしれない
これが16歳以上だったら、当時だと大人として扱われただろう
家を出たとしても労働力として働いて、妹を養うことも出来たのではないかと思われる
14歳というのは子供と大人の境目だ
根拠もない自分への過信、子ども扱いする大人への反抗、実際には出来ないことが多く挫折をあじわう 思春期だ
更に節子が4歳というのも拍車をかけた
これが完全に赤ん坊なら、世話ができないとあきらめたのではないか
2~3歳など一番言うことを聞かず扱い辛い時期だったりするが、これが4歳となるとかなり言うことを聞くようになる
なんとか言葉を話せて、下の世話もしなくていいギリギリの年だ
これなら大丈夫だと連れて行った故に、悲劇は起こる
だから14歳の兄と4歳の妹の物語だと野坂昭如が書いた以上、もう運命は変えられなかったのだ
悲劇にしかならない年齢設定だったのだと思うと、計算高すぎる。設定の時点で破滅への道だったのだ
清太を責めるのはもうよしてやってくれ、14歳はどうしようもないのだ
それを見事にアニメーションにした高畑監督はやはり偉大な監督だったと思う
14歳の子供の葛藤も愚かさも、4歳の可愛らしさも儚さも見事に表現されてるからこそ、時代を超えて語り継がれるアニメとなった
ただただ、高畑勲監督のご冥福を祈るばかりである
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